夏の旅行 その1

年末の修論でつらいときに夏の楽しい旅を思い返して耐えていたので、その旅行のことを書く(長くなっちゃったので、分けて書く)。

 

夏は大学時代の友達と、東北ドライブ旅行をした。

もともと、青森県三沢市で行われる寺山修司の市中劇を観に行くのが目的だったのだが、秋田県在住の友達が車を出してくれるというので、寄り道していくことになった。

本当は3人で行きたかったが、うち1人は仕事のため来られず、二人旅となった。

 

8月5日

彩の国S県在住の私は、朝早い新幹線で東北に向かった。

良く覚えていないが、東北夏祭りが重なる時期で朝の便では指定席が取れず、たちのりで仙台まで行き乗り換えをしたが、それでも座れなかった。

仙台は大学時代を過ごした街なので、見慣れた景色にひとりわくわくする。

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秋田県田沢湖駅に向かう。途中、新幹線は在来線の線路を通る。初めてではないけれども、やっぱり驚く。

 

田沢湖駅に着くと、大学生の頃よりややふっくらした友達が軽自動車で待っていた。

車に乗ると、早々六角形の瓶のはちみつをお土産にくれた。このあたりではちょっと有名らしい。関東に遊びに来てもいつも秋田土産をくれるまめな友達である。

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田沢湖駅を出発した軽自動車は、坂道を苦しそうに走る。お姉さんのお下がりというオッティは、坂道のときにはエンジンを切ってアクセルを踏まないといけない。夏の日差しに山の緑が鮮やかだった。

 

私が、

「最近かっこいいお兄さんと、田んぼはいいよねという話をして、お兄さんは夏に稲が緑にさわさわなっているときが好きと言っていて、私もいいと思うけれども、本当は春の田植えの前の田んぼに水を張って空が映っているときが、短いけれども一番好きだわ」

と言うと、友達は

「俺も実はそのときの田んぼが一番好きだわ」

と言って盛り上がった。友達は大学卒業後は仕事の傍ら毎年実家で田植えをしている。

 

当初の予定では、まっすぐ尾花沢鉱山に行くはずだったが、時間がありそうなので、日本3大がっかりスポットとして名高い田沢湖も観て行く。

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この像の手前はすでに浅瀬で、魚がたくさんいるのが見えた。田沢湖は遊覧船も出ていて楽しそうだった。

今回は長いドライブの旅になることがわかっていたので、お互い好きな曲を入れたCDを持ってきて旅の記念に交換することになった。

なんと、友達のくれたCDはジャケットが手書きだった・・・・・・!

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三沢は三沢市、ては寺山修司、10-02 43は、田園に死す、らしい! 絵がうまい!

選曲は、SHISHAMOの「僕に彼女ができたんだ」のしばらくあとに奇妙礼次郎の「君が誰かの彼女になりくさっても」が入っている少し病んだCDだった(狙ったらしい)。

ちなみに私は、SHISHAMOのこの歌は好きだが、他の恋愛うまくいかないソングは、かなり身につまされて正気で聞いていられない。友達のCDでは、きのこ帝国の「パラノイドパレード」がよかった。

途中休憩をしながら尾去沢鉱山跡に向かう。助手席でソフトクリームを食べるという長年の夢が叶う。ソフトクリームは溶けるし外は暑いので早く食べ終わってしまい、夢だった時間があっという間に終わり、あらまあと思う。わたしの持参したCDをかければキリンジの「風を撃て」が流れて、一緒に歌う。

 

尾花沢に向かうまではずっと山で、八幡平を通った。

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「ずっと昔の夏に、親戚で八幡平泊まったことがあるわ、八幡平リゾートホテルってとこだったような」

と言うと、友達は

「俺は近いけれども初めて通ったわ」

と言った。熊注意の看板を何度も通り過ぎながら、友達の住んでいる地域で、夫婦で山菜採りに山へ入ったら奥さんとはぐれ、奥さんを探していたら熊に喰われていたところを旦那さんが見つけたという事件があったことを聞いた。

 

そんなこんなで尾去沢鉱山についた。尾去沢鉱山は空いていて、鉱山の中はひんやりしていた。尾去沢鉱山に以前に来たことがある友達は、私に中は寒いぞとしきりに言っていたくせに、自分は半袖で寒い寒いと言っていた。

 

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中はダンジョンのようで楽しかった。昔ロクヨンバンジョーとカーズーイの対戦ゲームで、トンネルの中で出くわした敵に卵をぶつけるゲームがあったのだけれども、そのトンネルに少し似ていた。トンネルの後半は、鉱山で働く人や隠れキリシタンの人形があった。

尾去沢を出て、十和田湖へ向かう。坂で苦しそうなオッティを応援しながら山道を縫って向かう。

十和田湖はかなり大きかった。田沢湖も大きかったけれども、さらにさらに大きい。

十和田湖まわりを少し散策して、観光ボート乗り場へ向かった。

この観光ボート、ただのゆったり水辺を楽しむボートではないのである。

最高速度50knot(よくわからない)の超速アドベンチャーボートなのだ!!!

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かなりイケイケの陽気なお兄さんが運転と案内


ものすごい風圧を受けた前髪が吹き飛ぶなかで、壮大な自然に驚く・・・・・・ けれども、本当に風圧が強すぎる!

十和田湖は水が冷たく、流れがあまりないらしく、沈んだ木などが腐らずに澄んだ水の底にそのままの姿を残しているらしい。自然保護のためもう人が立ち入れない島には、昔に人が立ち入った鉄の柵のあとが残っていた。

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キリストのように見える像は、米兵が赴任前に縁起を担いで見に来るそうだ(三沢には米軍基地がある)。

十和田湖にはキリスト教伝説があり、また近くにはキリストのお祭りも行われる戸来村がある。十和田湖一帯にいるときは夏なのになんとなく背中がスースーした、ような気がした。

 

十和田湖を出て、八戸に向かう。

今夜の宿は、1泊5000円の新むつ旅館。かつて遊郭だった旅館だ。

友達とは、写真の階段を、それぞれ私は階段を右に上った一番奥の部屋、友達は左に上った一番奥の部屋であった。実は構造上は隣同士なのだけれども、厚い壁で隔てられていて、互いの部屋に行くにはこの中央の渡り廊下を通らないといけない一番遠い部屋であった。

ちなみに、わたしの泊まった部屋は鍵がなくて、少し驚いたけれども、隣の部屋はファミリーで、なんかまあいっか、となった。おそらくどの部屋も鍵はないのでは? 

hac.cside.com

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女将さんによると、遊女はこの陰茎を模した木の細工を廊下に転がし、客がつくことを願ったらしい

夕飯は屋台村で食べる予定だったが、旅館の女将さんから、今日は三社大祭だと聞き、ご飯前に街に出かけた。今年はユネスコに登録されてお祭りが盛り上がっているらしい。

夕方だったので、かなり派手な山車たちは街をまわり終えたのか、市役所前にたくさん集まっていた。

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夕飯は屋台村で海の幸などを味わう。イカめしが本当に美味しいかった! あまりの美味しさに一人で食べ過ぎて友達に驚かれる。八戸のバナナサイダーや日本酒を飲み、すっかりできあがった。

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二件目に行きラーメンとせんべい汁を食べ、来られなかった友達に電話して、店を出てふらふらしながら、行きはバスに乗った道を宿まで歩いて帰る。

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新むつ旅館(夜)

風呂がひとつなので、友達と入れ替わりにお風呂に入って、自分の部屋に戻って布団にゴロンと横になった。エアコンのない部屋だったが、その日の夜は特に暑くなく、問題なかった。天井を見上げながら、この旅館がかつて遊郭だったことを思い出す。恨めしい気持ちでこの天井を眺めた女の人、たくさんいたのかな。幽霊は怖くなかったけれども、なんとなく気が重くなって寝付けなくなる。帰ってきたのも遅かったけれども、眠れずにもっと夜中にお手洗いに行ったら、友達の部屋の電気が点いていた。あ、友達も眠れないんだな、と思って、なんだか安心してその後はちょっと眠れた。

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12月と1月に読んだ本と修論のことなど

12月は主に修論と闘っていて、1月も提出してからほっとしたけれど口頭試験があったり、なんだりでバタバタしていた。まわりの人に気を取られやすいので、提出前は家にこもって自分のペースで進められたのは良かった。家にこもりながら、お風呂に入るときは好きな本を読もう、ということで、赤江瀑の小説や三好達治の随筆を読んでいた。

三好達治の随筆はとても気に入っていたのだけれども、お風呂から上がるときに脱衣所以外の場所に置いてしまったらしく、プチ行方不明に…… 早く見つかるといい。

 

12月に読んだ本

彩世まる『骨を彩る』

 文庫本の表紙の銀杏が印象的な一冊で、私が読んだときも銀杏が散り始めている時期で良かった。主人公の異なる短編で、しかし全体ではつながっている、という読みやすく面白い、よくある構成なのだけれども、それぞれ人のひやりとするようなところを書いていて、印象的だった。『あのひとは蜘蛛を潰せない』も好きだった。

 

よしもとばなな『アナザー・ワールド 王国その4』

 王国4部作の最後の作品。なんと4冊目にして主人公が変わるのだ。次世代、という感じで。また、いろいろ変わったことが起こるのだけれども、そのなかで、よしもとばななは、世の中で大きな問題になっていることについて書くときも、肩肘張らず、さらっとそのままいつも通りに書くので、そこがよいな、と思った。

 

1月に読んだ本

小沼丹『懐中時計』

 小沼丹、ずっと「こぬま」と思っていたら、「おぬま」だった。おぬまたん、響きがかわいいな。小沼丹はずっと気になっていたけれども、今回初めて読んで、とてもいいと思った。恋人に借りた本で返却してしまったので、正しいタイトルが思い出せないけれども、山奥の寺に住む叔母の話など印象的。ちょっと幻想的な話も、淡々とした教授の寺なんとかさんの話、どれも好きだった。執筆時期によるのか、周りの人が亡くなった話などが多くて、しかしそれも惜しみつつ少しドライな感じがして、老成すると別れにも慣れてこんな心理状態になるのか? と思った。たぶん、小説だからというのもあろうかと思う。 

川村湊編『現代アイヌ文学作品選』

 年末にアイヌの子守歌(60のゆりかご)を聞いて、アイヌに興味を持って読んでみた。アイヌのことをあまり知らなくて、神話世界などが書かれているのかなと思ったら、差別への抵抗が主な主題の作品も多く、驚いてしまった。差別されていたとは聞いていたけれども、思っていたより差別が激しかったようで、目をそらしてはいけない、と思って読んだ。アイヌについて興味があるので、差別などの苦しい歴史についても向き合って読んでいかなくては、と思った。

 知里幸恵の日記は、身に迫るものがあって、引き込まれて読んだ。少女の等身大の情熱や優しさがまっすぐ伝わってきた。精神が潔癖な感じ。鳩沢佐美夫の小説は、小説の味わいというか、私が読んできた日本近代小説にかなり似ていて、アイヌのことだけでなく、小説として面白く読んだ。

 

トルーマン・カポーティ 村上春樹訳『ティファニーで朝食を

 1年以上前に、前半を読んだけれども、後半の短編を2つ読めていなかった。

 玉川重機の漫画『草子ガイドブック』では「ダイアモンドのギター」が取り上げられていたな、と思いながら読んだ。「クリスマスの思い出」は、なんだか幸せで切ないクリスマスが描かれていて、自分の価値観を振り返ってしまったような。

 

 修論が終わったのに、あんまり本を読めていなくて残念。

 途中の本もたくさんある。

 もう少し終わったら、いろいろ読みたい。

 

 修論は、まず提出することから無理! と思っていたけれども、執筆中、これは無理! と思うことが頑張るとできるということが3回くらいあって、大変だったけれどもそのことは少し良かったような気がする。

 眠いのでここまで。

 

11月に読んだ本

 ブログを動かすと言ったのに全然動かせてない・・・・・・ 

 最近は修論をがんばっています。11月は大学の銀杏がきれいでした。昨年はあまりきれいだということに気がつけなかった。どうしてだろう。

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』

 割と長めかなと思ったら、一気に読めた。チェスをめぐる不思議な話。チェスや将棋はルールーもきちんと覚えてないから普段はやらないのだけれども、分かる人には分かる美しさや調和があるのだろうな、とあこがれた。

 最近ブロックスにはまっていて、ブロックスも相手の出方できれいな盤面になることがあるんだよな〜と思ったりもした。

 

魚住陽子『菜飯屋春秋』

 魚住陽子は『水の出会う場所』がとても好きで、この作品もとても好きになった。中年期以降の女の人たちや男の心変わり、老いがご本人のテーマのひとつなのかな? 今まで読んだ作品の中に多く出てくる。

 私は20代で、作中の女の人たちが直面しているあれこれはまだ先なのかもしれない。けれども、今感じている不安がもっと”オトナ”になったら消えると思っているのは間違いで、その不安がちょっとずつ形を変えたり、新たな不安が生じたり、決して不安がなくなるわけではないのだな、と思ってしまう。それが心苦しいわけではなく、これからこういうことで悩みそう、というのがリアルに伝わってくるし、もちろん中年期になる頃には今より強くなる部分があることも分かるし、なんとなく、年を重ねるのが嫌ではなくなるような小説。

 作中で登場人物たちが俳句をつくっているのも面白い。

 

千早茜『人形たちの白昼夢』

 千早茜は『魚神』が宇野亜喜良の表紙や挿絵に合っていて、とても好きだった。

 現代物も読んだけれども、『魚神』のようなおとぎ話や昔話みたいな作品が読みたいなと思っていたら、この本はまさに幻想的な作品が多くて、楽しく読んだ。

 人形、個人的にはちょっと苦手で、レースの甘さみたいな作品ばかりだったら好みに合わないかも・・・・・・ と、慎重に読み始めたけれども、どの作品も甘さやロマンティック、残酷さと明るさや強さの配分がちょうど良くて、本当にシンプルで上等なリボンみたいな本だった。

 

一週間読んだ短歌(11.9〜11.15)

今週は電車に乗らなかったり書けなかったりした日がありました。

 

11月9日
今つよくおもったことを告げたくて花道走るように枯葉は / 東直子


 木枯らしに吹かれてものすごい勢いで飛ばされていく枯れ葉の映像が思い浮かぶ。風に飛ばされている枯葉というと、寂しく受け身のイメージだけれども、この歌の枯葉はとってもエネルギッシュ。花道というと、舞台やレッドカーペットが思い浮かぶ。人々の視線を集める道で、走り抜けるイメージはあまりない。そんな花道を脇目も振らずに一生懸命走っている枯葉。今おもったことを告げたい! という思いの熱さに突き動かされて、周りが見えていない感じ。その気持ちはなんだか若々しい。未成熟の中のほとばしりというか、若気の至りというか、青春っぽい。
 今という瞬間への強い集中が、枯葉で表現されているとは意外だった。風に高速で飛ばされているように見える枯葉も、じつは風に乗ってだれかに何か告げるために突っ走っているのかも。

 

11月10日
洗濯をするとなにかをなしとげた気分 事実、成し遂げたのだ / 今井心


 歌意はとても取りやすい。家事はどれも日々の繰り返しだけれども、休みの日にまとめて洗濯したときなど、達成感があることを思い出した。結構干す作業は大変だし、洗濯物がはためいていると成果が目に見えるし。また数日後に洗濯するし、生活の一部と思って軽んじてしまいがちの家事の達成感を描いているところが好き。なにかをなしとげた気分とかるい気持ちでいる洗濯をした人と、1字空いて、断定の言い切り、漢字の多さから硬く確かな印象を受ける形でそのなしとげを認めているのが、なんだか面白いし、自分のささやかな達成感を違うテンションで自分で噛みしめているようで、または自分以外の大きな何かに認められたようで嬉しい。

 

11月11日
ひとを抱くこころの寒さ 窓拭けばこの世をあふれ春の雪ふる / 大森静佳
 

 ひとは、恋人や伴侶やそういう大切な人なのだろうか、それとも子どもなど? ひとを抱きしめているときのこころの寒さ、ふとしたときの冷静さだったり、全然違うことを考えることだったり、もっと残酷なことを考えていたりするのかもしれない。おそらく、そのひとを抱くことの幸せとか充実感から心が離れているのは確かだと思う。
 雪が降っているから、窓が結露していたのかな、窓を拭いて外を見えるようにしたら、春の雪が降っていた、わたしのこころの寒さと外の気候の寒さがつながっているように思える。
 気になるのは、この世をあふれ、だ。わたしのこころの寒さと春の雪は、この世のことかな、と思ったのだけれども、この世をあふれ、とはどういうことなのだろう。(わたしの)こころの寒さ→この世をあふれたなにか→春の雪という、この世のものではないなにかがこころの寒さと春の雪を媒介しているのかな。わたしのこころと気候を重ねるだけでもスケールが大きいけれども、この世を離れたなにかの存在を暗示させる、スケールの大きい歌なのかもしれない。
 こころの寒さ、わたしのこころとして読んだけれども、抱いているひとのこころかもしれない。

 能面ポストカードの短歌、全部好きなのでどれについて感想を書くか迷った。

11月14日
同情など欲しからねども雪国に結球の白菜はぎつつさびし / 生方たつゑ


 生方たつゑさんは暖かそうな三重県から雪国沼田に嫁いだ人。東京の女子大にも通っていた人。この方の短歌を詠むときはなんとなく、この経歴を思い出してしまう。わたしが沼田に長く住んでいたからか。

 雪国沼田は関東平野の周縁でなかなか標高も高く、河岸段丘の大地を持つ自然が厳しい寂しい土地。都会から嫁いできたら寂しいだろうなぁと思う。雪国が綺麗に見えるのは、雪国でないところから見たときだけなのでは、と思ってしまう。愛着のあまりない雪国に住むのはさみしい。白菜を剥いでいるのは冬で、沼田の大地はきっと真っ白。真っ白な中で真っ白な白菜を剥ぐ。はいでもはいでも真っ白。雪国の寂しさやつらさは私にしかわからないから、同情なんていらないという気の強さや潔癖性、諸刃の剣のようなギリギリの感情のとがりを感じる。もしかしたら、自分の人生は暖かいところで過ごしたよりも、雪国で過ごした時の方が長くなってしまったあとなのかもしれない。それでもひとに譲らない、でもあふれてきそうなさみしさ。きりっとじわっとしている。
 はぎつつさびし、のところが何回もぎつしりに見えてしまって、白菜は丸くぎっしりしたおそろしいものなのだろうなと勝手に思う。雪の白さ、白菜の白さがまぶしくて、自分の寂しさばかり見つめてしまいそうになっている気がする。

 

 

一週間読んだ短歌(11.2~11.8)

11月2日 青葉闇 暗喩のためにふりかえりもう泣きながら咲かなくていい / 井上法子

 

 青葉闇は夏の季語らしい。夏の日差しは強く、そのぶん影が濃いのかな。歌意はとらえきれないのだけど、呼びかけている対象は、泣きながら咲いているよう。咲くという言葉はもともと笑うからきているそうで、そのことを考えると、泣くと咲くがわりと反対の言葉であることがわかる。暗喩のため、なにかを表出させないように泣きながら笑うという難しいことを無理にしていたのだろうか。
 青葉闇をつくるくらい太陽が眩しい中で、もうなにも隠して示さなくてよくなったのか。これまで無理して疲れ切った対象が、これまで気を張っていたことから急に解放されて呆然として、気が緩んだら、泣くのをやめて、へなへなと本当に笑うのだろうか。

 

11月3日 うつくしくくずれていった角砂糖つぎの話題がすこしこわいわ / 干場しおり


 昔、角砂糖を指でつまみ角を紅茶につけたまま止まっている人がいた。なにしているの? と聞いたら、紅茶を染み込ませた角砂糖をカップに落とすと、底についた途端に美しく崩れることがあるから挑戦しているとのこと。
 角砂糖の様子をじっと見ている主体は伏し目がちなのだろう。それだけでも不安な感じが伝わってくる。うつくしく、角砂糖、こわいわ、という、少女漫画のようなロマンチックな言葉が全体的に統一感があり、耽美な中に不安さがあるところが好き。

 

11月4日 日々は泡 記憶はなつかしい炉にくべる薪 愛はたくさんの火 / 井上法子


 1日空けて井上法子さんの歌を登場させてしまった。
 日々は泡、毎日の現実は実感がないく脆いものなのかな。ボリス・ヴィアンの「日々の泡(うたかたの日々)」も連想する。丸いたくさんのシャボンがきれいだなと見ていた途端にぱちぱち弾けていくイメージ。
 そんな日々から離れたものとしての記憶があって、「なつかしい炉」にくべるのは、思い出になりつつある記憶なのか。記憶は薪となり、愛の火になるから、愛とは日々の記憶がなつかしい思い出になったものなのかな。
 日々が泡で、水っぽいから、その後の薪や火と対立するように思えるけれども、現実に背を向けて過去ばかり見る、という感じはなく、思い出も薪として燃やしてしまうから、うたかたの日々を毎日生きて、記憶を思い出にして、愛を燃やして、生きていくような、おだやかな中に強さのあるやさしい気持ちになる。

 

11月5日 くしゃみというワープを重ねワンピースの花柄減ってあなたと出会う / 雪舟えま


 花柄のワンピースはかわいい。ワンピースは現代日本ではまだ女性の服とされていて、さらに花柄であると、とてもガーリーだったり、フェミニンだったりする印象がある。
 くしゃみをするたび花柄が減っていくとはどういうことなのだろう。くしゃみでワンピースの野の花が散ってしまう? このワープ、今を生きるわたしのなかだけで起こってはいないような気がする。くしゃみをするたびにちがうワンピースを着た、違う私に生まれ変わっているような。何回も生まれ変わって、花柄のワンピースを着るタイプのわたしではないわたしになって、それでもわたしはわたしで、やっとあなたに出会った、というような、あなたに出会うまでの時空がとても遠く感じる。そのぶんあなたに出会えてうれしい。昨年流行った「前前前世」みたいな感じ。

 

11月6日 冬に泣き春に泣き止むその間の彼女の日々は花びらのよう / 堂園昌彦


 どうして彼女は泣いているのか分からないけれども、きっと彼女は辛くて、冬の間ずっと泣いていて、でも春には泣き止むことができた。辛い日々を、映画のワンシーンのように見たら、はなびらのようにうつくしく切なくはかなく見えるのだろうか。泣いている本人からしたら、そんなひらっとふわっとした花びらどころの悲しみじゃないと思ってしまうかもしれないけれども、泣き明かした一つの季節を花びらのよう、と言われたら、泣いていた辛い日々もむなしいだけでなく、力になるわけでもなく、でもなんとなく自分で思うよりも大きく肯定されたような気がするのだな、と思う。映画のように彼女を見ている人たちに、彼女の涙すら花びらに見えてしまうような。
 冬、春、日々、花びら、は行の音がやわらかいイメージ。

 

11月7日 真夜中にとてもしずかに鳩をだす きづいてあげるためにがんばる / 吉岡太朗


 真夜中に静かに鳩をだすって、結構不思議で特異な光景だと思う。鳩をだすというと、手品のイメージが強い。一人で手品の練習をしているのだろうか。おそらく鳩を出している人は、この瞬間は誰かに見られたい、気づかれたいと強くは思っていなさそう。
 きづいてあげるためにがんばる、は結構普遍的な言葉で、読者一人一人のなかに思い当たるシーンがそれぞれありそうな。きづいてあげるためにがんばる、きづいて「あげる」だから、本当はその誰かは気づいてほしいのだと思う。だいたい日常でこっそりやったことは気づかれない。本当は気づかれたいなぁと思ったことが気づかれる可能性は良くて五分五分くらい? そんな誰かのなにかに、きづいてあげるためにがんばる、のは大事にしている他者に積極的に関わっている感じがする。気づいてほしいことだけじゃなくて、真夜中に鳩をだすような、本人だけしか知らないけどほほえましいような、そんなところも気づいてあげたいという、相手への想いを感じる。

 

11月8日 桜桃の対幻想のくれなゐのまばたきさへも責めらるるかな / 水原紫苑


 対幻想って何かなぁと軽い気持ちで調べたら、吉本隆明がつくった概念らしい。生理的な関係を離れた、家族愛や恋愛、友情のプラトニックな部分なのかな……? ウィキペディアしか見てないけれども。
 共同幻想は最低3人いないと起こらないらしくて、対幻想は2人でも起こりうるらしい。この歌の対幻想は、桜と桃の二つなのだろうか。それとも、「桜桃」でさくらんぼがふたつくっついているイメージかな。さくらんぼの方が、くれなゐ色に近いように思う。対幻想の対、つい、のイメージにも近いし。桜桃の対幻想のくれなゐの、のが続いてリズムがいい。さくらんぼの二つの実の間の対幻想、なんらかの親密な精神的な関係?は、まばたきのようなささやかなやりとりでさえ責められてしまうほどいけないものなのだろうか、禁忌のような。リズムも良いし、それぞれの語の持つイメージも甘やかなのに、逃れ難い厳しさがある。
 与謝野晶子
 椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬ色桃に見る
が少し連想されたけど、こちらの歌は厳しさから最後ほっとするところに落ち着くのだけど、今日の歌は、どこまでも許されないような厳しさがある。

2017年10月に読んだ本。

 ブログをうまく使えていないので、先月読んだ本の簡単な感想を書くことにします。

よしもとばなな『王国〈その3〉ひみつの花園』(新潮文庫

 王国3作目。1,2を面白く読んだので、そのいきおいで読む。山から下りてきた雫石がどんどん成長するのを見守るのが楽しかった。人間の関係のこまかなところは文字にできないんじゃないかと思うけれども、いつもよしもとばなな先生はうまく文章にされていて、しっくりくる感じがある。

東直子『薬屋のタバサ』(新潮文庫

 ご本人にサインをいただいた際に、『とりつくしま』とは全く雰囲気が違うと聞いていたが、本当に違った。じぶんのいる場所がどこかわからない不安定なところで起こるリアルなものごと。また不安になるけれども隠されるなにか。最初の方の聞き間違い? のところが、リアルで言葉っておもしろいと思った。

沼田まほかるユリゴコロ』(双葉文庫

 映画のエキストラに家族と出て、映画館に上映を観に行ったところ、序盤のグロに耐えきれず、母と途中で映画館を出てしまったので、読んだ。エキストラとしてはばっちり映っているのを確認できた!

 ぞくぞくしながらも先の展開が気になり一気読みできた。

小川洋子『シュガータイム』(中公文庫)

 大好き小川洋子。お風呂で読んでいた。主人公と吉田さんの不思議な安らいだ関係が好きだったのだけれども・・・・・・ 全体としては好きな話だった。大学生っぽさ。解説が林真理子で、ふむふむと思った。

よしもとばなな『デッドエンドの思い出』(文春文庫)

 家やお風呂、けだるく公園のベンチで読んだりもした。ここ最近よしもとばなな作品を集中して読んでいたけれども、けっこうこの作品は現実世界で誰もが大変だ・・・・・・ と思うような事件について書いていて、でもそのなかでばなな節が効いているような作品たちで、あらためてよしもとばなないいな、と思った。

池田澄子池田澄子句集』(現代俳句文庫)

 ずっとまえからちみちみ読んでいて、やっと読み終わった。生きるの大好き冬のはじめが春に似て、という俳句に惹かれて読み始めたら、期待を上回ってたくさんのすてきな句に出会えた。初めて句集を読んだ。

『文学ムック たべるのがおそい vol.4』

 vol.1からずっと読んでいる。フランスの翻訳作品の「不思議な死(手元にないのでタイトル後ほど確認)」が印象的。宮内さんのも、とても面白かった。SF苦手意識が薄れてきた。いつも自分では手に取らない作品、作家の作品と出会うことができて、刺激的で面白い文学ムック。

萩尾望都ポーの一族』(1)(2)(3)(小学館文庫)

 初めての萩尾望都。ずっと話が続くのかと思ったら、短編短編がつながりを持っているというつくりだった。全部時系列にばしっと整理はまだできていないけれども。海外の伝説の漫画化のように思えてしまうほど、海外の雰囲気に満ちていた。ぜひとも小池修一郎先生による舞台化を・・・・・・!

 初めて読んだ少女漫画は、りぼんの『空色のメロディ』だったのだけれども、なんとなく初めて少女漫画を読んだときのことをほんのり思い出した。

ポエトリーカフェin都留 山崎方代篇に参加しました。

ぴっぽさんが東京・神保町などで行う気さくな詩の学び場ポエトリーカフェ(

ぴっぽのしっぽ - livedoor Blog(ブログ))にたびたび参加させてもらっています。今回は都留への出張と聞き、気になる土地、都留でのポエカフェに行ってきました。

わたしにとっては初めての都留です。

 

都留には、中央線で大月駅まで行き、富士急線に乗り換えて向かいます。

相模湖駅に向かうあたりから、車窓は緑でいっぱいになってきます。

 

大月駅でみなさんと合流して、谷村駅へ。夏の暑い日でした。

都留では、ポエカフェ常連で都留市在住のCさんが案内をしてくださいました。手作り資料もいただきました。

都留には昭和の街並みが残っていて、撮影などでも使われるそうです。

また、街中に流れる用水路は江戸時代からのものもあるそう。鯉やほかの魚も泳いでいて、きれいでした。

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  • ミュージアム都留

まずは、ミュージアム都留に行きました。

名誉市民第1号の増田誠さんの絵画を観て、都留の歴史紹介コーナーへ。

都留には、縄文時代の遺跡があるそうで、土器や土偶などが展示されていました。

また、江戸時代には松尾芭蕉も滞在したそうです。松尾芭蕉劇場というからくり箱のような面白い展示がありました。

 

都留市は江戸時代に郡内織で、明治以降は甲斐絹で栄えた織物の街だったそうです。

旧暦8月1日に行われる八朔祭では、屋台(引き車のような)が出ます。その屋台に飾られる幕は、下絵が葛飾北斎などの有名絵師によるものです。幕に使われている技術も現在では再現できないほど精密なもので、当時の繁栄がうかがえます。

屋台も幕もミュージアムに展示されていました。すごい迫力! でした。

八朔祭の昔の写真では、かつて行われていた、町ごとに共通の仮装をする「にわか狂言」の様子も写されており、楽しい雰囲気が伝わってきました。

 

特別展では、根付の展示をやっていました。

細工の大変細かいものや、面白いもの、かわいらしいもの、たくさんの根付を観ることができました。

 

ミュージアム都留から街を散策してうどん屋さんに向かいます。

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変わった位置にしめ縄。

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金山神社。階段はあまりの暑さに上らず……

 

うどんは太めで、でも太さが均一でなく、いろいろな食感が楽しめるところがたまらなくおいしいです。少しほうとうに似ているのかな、こしがありました。

薬味のごまの辛みがとても美味しかったです。

 

  • ポエカフェ山崎方代篇

手打ちうどん 石井」から「バンカム、ツル」に移動してポエカフェが始まりました。

ぴっぽさんお手製の、詩人(今回は歌人)の人物紹介の年表、詩歌の資料が配られ、くじを引きました。くじは今回は10首くらいの歌が載っていて、そのなかから2首選んで音読して、感想を述べました。

 

・山崎方代のとてもざっくりした略歴

ぴっぽさんの詳しい資料からざっくり抜粋です。

1914年山梨県生まれ。8人兄弟の末っ子として生まれたが、兄弟が夭折していたので姉2人の長男。名前の由来は「生き放題、死に放題」から。お姉さんたちがお嫁に行き、8歳からは父母と3人暮らし。19歳の時には両親が目を病み、方代は両親を支えながら作歌にいそしんでいた。

23歳で母が亡くなり、父とともに姉の嫁ぎ先横浜に移住する。

24歳、謄写版印刷詩集『万障繰り合わせ』100部発行

27歳で臨時召集され、29歳のとき戦場で右眼失明、左眼視力0.01となる。出征中父が亡くなる。

帰還後は靴職人の家で修行をして靴の修理をしたり、放浪の旅生活をしたりする。その間も盛んに文学活動をしていた。

37歳で姉の嫁ぎ先の歯科医院の歯科技工士として落ち着く。

41歳、第一歌集『方代』自費出版

48歳から吉野秀雄と親しく交流を重ねる。51歳のとき、姉が亡くなり、各方々への住み込み生活(4畳半の小屋など建ててもらっていた)。56歳、故郷に一族の墓を建立。

60歳、第二歌集『右左口』刊行。

65歳、第三歌集『こおろぎ』、66歳、随筆集『青じその花』刊行。

70歳(1985年)、肺がんによる心不全で死去。死後、第四歌集『迦葉』刊行。

 

吉野秀雄さんとは、大変親しくしていたようで、1、2週間に一度、手土産を持って行っていたことや、いつも吉野家を訪ねるのを楽しみに語っていたことなど、ほほえましいエピソードが紹介されました。山梨の方言なのか、「〜じゃ」と話していたそうです。

足繁く訪れても吉野さんを疲れさせるようなことはしなかった、話が面白く気遣いのできる人だったようです。

 

お姉さんの嫁ぎ先を出てからは、いろいろな人のおうちの一画に住んでいたようですが、そういう人が何人も見つかるのは、やっぱり方代さんの人格なのでしょうか。

 

たびたび歌に登場する土瓶は、『青じその花』に写真が載っているのを見せていただきました。捨ててあったのを拾ってきて、それから長い長いつきあいで家族のような愛着をもっていたようです。

 

・あたった短歌

わたしがくじで引き当てたのは、第三歌集『こおろぎ』からの11首。

そのなかから以下の2つの歌を読みました。

 

留守という札を返すと留守であるそしていつでも留守の方代さんなり

 

札を返しっぱなしにしている無精さ、もしくは原稿取り立て対策なのでしょうか、本当は家にいるだろう自分を「方代さん」とさん付けで呼んで笑っているような滑稽さ、おかしみが楽しい歌だなと思いました。

 

親と子の便りがどこかですれ合って山の桜が咲き初めにけり

親子が離れて暮らしていて、手紙を送り合っている、故郷は山なのかな、と思いました。すれ合うのは頻繁に手紙をやりとりしているからで、親子の間の強い愛情が感じられました。

「すれ合って山の桜が咲き初めにけり」の音がきれいだなと。また、「手紙がすれ合う」ことから、山桜の白っぽい薄い花びらを連想しました。

 

方代さんの歌は、まっすぐに届くような歌、身の回りの歌、道化の歌が多いのかなという印象で、たしかにそういう歌も多かったですが、ときに不気味な暗さの出ている歌や父母への歌、反戦の歌などいろいろな歌があり、面白いな、と思って読んでいました。

 

今回もたくさんの方々にお会いし、みなさんそれぞれに意見・感想を聴くことができて楽しかったです。今回はみなさん好きな歌を選んで読まれたので、どの歌を選ぶのかな? というのも面白かったです。

前半の都留ツアーや移動の電車などでも楽しいお話しができ、今年の夏のすてきな思い出ができました。

 

追記:

ポエカフェの会場となった、バンカム、ツルのアイスカフェオレとっても美味しかったです。コーヒーそのものがおいしいのはもちろん、最初から甘いものが出てくるのですが、甘みが何とも言えず美味しい甘みで、ミルク感も強く、今まで飲んだアイスカフェオレのなかで一番美味しかったです。きっとコーヒーが美味しいから甘みもミルクも美味しいんだろうな、と思いました。