ポエトリーカフェin都留 山崎方代篇に参加しました。

ぴっぽさんが東京・神保町などで行う気さくな詩の学び場ポエトリーカフェ(

ぴっぽのしっぽ - livedoor Blog(ブログ))にたびたび参加させてもらっています。今回は都留への出張と聞き、気になる土地、都留でのポエカフェに行ってきました。

わたしにとっては初めての都留です。

 

都留には、中央線で大月駅まで行き、富士急線に乗り換えて向かいます。

相模湖駅に向かうあたりから、車窓は緑でいっぱいになってきます。

 

大月駅でみなさんと合流して、谷村駅へ。夏の暑い日でした。

都留では、ポエカフェ常連で都留市在住のCさんが案内をしてくださいました。手作り資料もいただきました。

都留には昭和の街並みが残っていて、撮影などでも使われるそうです。

また、街中に流れる用水路は江戸時代からのものもあるそう。鯉やほかの魚も泳いでいて、きれいでした。

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  • ミュージアム都留

まずは、ミュージアム都留に行きました。

名誉市民第1号の増田誠さんの絵画を観て、都留の歴史紹介コーナーへ。

都留には、縄文時代の遺跡があるそうで、土器や土偶などが展示されていました。

また、江戸時代には松尾芭蕉も滞在したそうです。松尾芭蕉劇場というからくり箱のような面白い展示がありました。

 

都留市は江戸時代に郡内織で、明治以降は甲斐絹で栄えた織物の街だったそうです。

旧暦8月1日に行われる八朔祭では、屋台(引き車のような)が出ます。その屋台に飾られる幕は、下絵が葛飾北斎などの有名絵師によるものです。幕に使われている技術も現在では再現できないほど精密なもので、当時の繁栄がうかがえます。

屋台も幕もミュージアムに展示されていました。すごい迫力! でした。

八朔祭の昔の写真では、かつて行われていた、町ごとに共通の仮装をする「にわか狂言」の様子も写されており、楽しい雰囲気が伝わってきました。

 

特別展では、根付の展示をやっていました。

細工の大変細かいものや、面白いもの、かわいらしいもの、たくさんの根付を観ることができました。

 

ミュージアム都留から街を散策してうどん屋さんに向かいます。

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変わった位置にしめ縄。

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金山神社。階段はあまりの暑さに上らず……

 

うどんは太めで、でも太さが均一でなく、いろいろな食感が楽しめるところがたまらなくおいしいです。少しほうとうに似ているのかな、こしがありました。

薬味のごまの辛みがとても美味しかったです。

 

  • ポエカフェ山崎方代篇

手打ちうどん 石井」から「バンカム、ツル」に移動してポエカフェが始まりました。

ぴっぽさんお手製の、詩人(今回は歌人)の人物紹介の年表、詩歌の資料が配られ、くじを引きました。くじは今回は10首くらいの歌が載っていて、そのなかから2首選んで音読して、感想を述べました。

 

・山崎方代のとてもざっくりした略歴

ぴっぽさんの詳しい資料からざっくり抜粋です。

1914年山梨県生まれ。8人兄弟の末っ子として生まれたが、兄弟が夭折していたので姉2人の長男。名前の由来は「生き放題、死に放題」から。お姉さんたちがお嫁に行き、8歳からは父母と3人暮らし。19歳の時には両親が目を病み、方代は両親を支えながら作歌にいそしんでいた。

23歳で母が亡くなり、父とともに姉の嫁ぎ先横浜に移住する。

24歳、謄写版印刷詩集『万障繰り合わせ』100部発行

27歳で臨時召集され、29歳のとき戦場で右眼失明、左眼視力0.01となる。出征中父が亡くなる。

帰還後は靴職人の家で修行をして靴の修理をしたり、放浪の旅生活をしたりする。その間も盛んに文学活動をしていた。

37歳で姉の嫁ぎ先の歯科医院の歯科技工士として落ち着く。

41歳、第一歌集『方代』自費出版

48歳から吉野秀雄と親しく交流を重ねる。51歳のとき、姉が亡くなり、各方々への住み込み生活(4畳半の小屋など建ててもらっていた)。56歳、故郷に一族の墓を建立。

60歳、第二歌集『右左口』刊行。

65歳、第三歌集『こおろぎ』、66歳、随筆集『青じその花』刊行。

70歳(1985年)、肺がんによる心不全で死去。死後、第四歌集『迦葉』刊行。

 

吉野秀雄さんとは、大変親しくしていたようで、1、2週間に一度、手土産を持って行っていたことや、いつも吉野家を訪ねるのを楽しみに語っていたことなど、ほほえましいエピソードが紹介されました。山梨の方言なのか、「〜じゃ」と話していたそうです。

足繁く訪れても吉野さんを疲れさせるようなことはしなかった、話が面白く気遣いのできる人だったようです。

 

お姉さんの嫁ぎ先を出てからは、いろいろな人のおうちの一画に住んでいたようですが、そういう人が何人も見つかるのは、やっぱり方代さんの人格なのでしょうか。

 

たびたび歌に登場する土瓶は、『青じその花』に写真が載っているのを見せていただきました。捨ててあったのを拾ってきて、それから長い長いつきあいで家族のような愛着をもっていたようです。

 

・あたった短歌

わたしがくじで引き当てたのは、第三歌集『こおろぎ』からの11首。

そのなかから以下の2つの歌を読みました。

 

留守という札を返すと留守であるそしていつでも留守の方代さんなり

 

札を返しっぱなしにしている無精さ、もしくは原稿取り立て対策なのでしょうか、本当は家にいるだろう自分を「方代さん」とさん付けで呼んで笑っているような滑稽さ、おかしみが楽しい歌だなと思いました。

 

親と子の便りがどこかですれ合って山の桜が咲き初めにけり

親子が離れて暮らしていて、手紙を送り合っている、故郷は山なのかな、と思いました。すれ合うのは頻繁に手紙をやりとりしているからで、親子の間の強い愛情が感じられました。

「すれ合って山の桜が咲き初めにけり」の音がきれいだなと。また、「手紙がすれ合う」ことから、山桜の白っぽい薄い花びらを連想しました。

 

方代さんの歌は、まっすぐに届くような歌、身の回りの歌、道化の歌が多いのかなという印象で、たしかにそういう歌も多かったですが、ときに不気味な暗さの出ている歌や父母への歌、反戦の歌などいろいろな歌があり、面白いな、と思って読んでいました。

 

今回もたくさんの方々にお会いし、みなさんそれぞれに意見・感想を聴くことができて楽しかったです。今回はみなさん好きな歌を選んで読まれたので、どの歌を選ぶのかな? というのも面白かったです。

前半の都留ツアーや移動の電車などでも楽しいお話しができ、今年の夏のすてきな思い出ができました。

 

追記:

ポエカフェの会場となった、バンカム、ツルのアイスカフェオレとっても美味しかったです。コーヒーそのものがおいしいのはもちろん、最初から甘いものが出てくるのですが、甘みが何とも言えず美味しい甘みで、ミルク感も強く、今まで飲んだアイスカフェオレのなかで一番美味しかったです。きっとコーヒーが美味しいから甘みもミルクも美味しいんだろうな、と思いました。